前身〜結成前それぞれ別のコンビのボケ同士が組んだ珍しいコンビ。かつて、西田は大阪で「たちくらみ」、哲夫は「スキップ」というコンビで活動していたが、その個性の強さにそれぞれの相方がついて来られず解散。
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結成当時2000年7月、共通のライブイベントに出演していた事から、新たにコンビを結成。このイベント名が「笑い飯」だった事から、それをコンビ名として拝借した。二人ともそれぞれのコンビでボケを担当していたことがきっかけとなり、役割を固定せずボケとツッコミが交互に入れ替わるというこれまでの漫才にはなかった独自のスタイルを築き上げた。
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吉本興業インディーズで活動中、M-1グランプリ2001(第1回)の予選に出場した事から吉本興業の目に留まり、同社に所属したとの情報があったが、実はオーディションで入社している(お笑いタイフーンインタビューより)。以来baseよしもとの舞台に立っていたが、2008年4月6日の「ガンガンライブFINAL」でbaseよしもとを卒業した。
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バッファロー吾郎M-1グランプリが大きなきっかけとなって飛躍した彼らだが、最初に彼らの才能を見出したのはバッファロー吾郎の2人だった。
バッファロー吾郎が自らプロデュースするイベント「バッファロー吾郎の爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に出演させたりと、無名だった2人に活躍の場を与えたという話は有名である。今でも彼らと親交は深く、いわゆる「バッファロー軍団」の一員とされている。 |
千鳥・麒麟また、インディーズ時代、千鳥、ヘッドライト、ソラシドらと共に「魚群」というインディーズライブを行っていた。その頃から苦楽を共にしてきた千鳥とは、兄弟同然の仲である(哲夫はノブと一緒に住んでいたこともある)。その他、麒麟とも仲が良い。
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大喜利2人とも大喜利が大好きであり、得意とする事の1つでもある。月に一度、千鳥と共に「笑い飯・千鳥の大喜利ライブ」というライブを京橋花月で行なっている。以前はbaseよしもとで1時間ライブとしてやっていた。2006年の初めには全国ツアーも行なった。ちなみに、関西で行われている大喜利のライブは「ダイナマイト関西」とこのライブだけであり、笑い飯の2人はダイナマイト関西にも頻繁に参加している。
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ネタ作りネタ作りの方法はテーマを出しておたがいにボケ合い、お互いにネタが尽きるまで続けるというものである(踊る!さんま御殿!!にて)。
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同期の芸人「笑い飯」としての芸歴は2000年から(吉本入社は2001年)だが、西田、哲夫個人の芸歴は共に1996年からのため、年数のみからみると大阪NSC15期(ストリーク、ランディーズなど、西田も実際に在籍したが後に中退)・東京NSC1期(品川庄司など)とほぼ同期にあたる。
NSC出身以外では、同じ1996年に初舞台を踏んだロザン、すっちー(元ビッキーズ)、りあるキッズなどが同期と思われる。しかし、ロザン、りあるキッズの2組は彼らを後輩扱いしている。 |
M-1グランプリ2001年のM-1グランプリこそ2回戦敗退であったが、2002年大会で初の決勝進出(「麒麟枠」)を果たし、最終決戦まで残ったことで一躍注目を集めた。2002年以降は、連続して決勝に進出している。
2003年大会は最終決戦で2位となり、決勝1回戦で披露した「奈良県立歴史民俗博物館」のネタは、ファンの間では今なお「伝説のネタ」と評されている。 2009年のM-1では決勝1回目で「鳥人(とりじん)」というネタを披露。最高点(668点)を出し1位で最終決戦に進出したが、パンクブーブーに最終決戦で逆転された。 2010年、悲願のM-1グランプリ・チャンピオンとなる。 |
※このプロフィール文はWikipediaの記事を引用しています。
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